遠ざかる原風景

最近、色々なものを許せるようになってきた。

 

昔はこだわりを持って拒絶していたことが、「あれもいいね、これもいいね」となってきた。

寛容になったといえば、聞こえはよいが、結句、色々とどうでもよくなってきたのかもしれない。

 

昔は不自由ではあったが、不確かな強さはあった。

とは言え、今の自分にも「核」と呼べるものはあり、それは誰であっても揺るがせにはさせたくないとも思っている。

 

完璧主義が己を苦しめることは理解っているが、己を欺いて全てを中途半端にするならば、かえって自分を責めることになるという思考回路。

 

「憂鬱の楽園」は、俺を苦しめ苛んだが、同時にある種の安らぎを与えてきた。

完璧にも思えた楽園が罅割れ始めたとき、果たして両手を上げてそれを手放すことは出来るのか。

 

マゾヒズムサディズムがコインの裏表であるように、闇と光は、実は非常に近い場所に位置している。

 

俄かに増えたかに見えた選択肢を前に、未来の「俺」が選択する結末とは......