バイトをクビになった話 ~哀しみの警備員編・前編~
2018年10月。
俺は社会に疲弊していた。
大学を卒業し、3ヶ月のアパレル店員を経て、二度とサービス・販売業はやるまいと決意した。
コミュニケーション能力が壊滅的だった俺は、月に一度の人事評価で、常に最低の評価を受けていた。
店長から𠮟責される度に逆ギレをしていたら、やがて俺は見放され、放置されるようになった。
世の中には上司に怒られるストレスで心を病んでしまう人がいるようだが、正直「怒られるうちが華」だと思う。
思い返してみれば俺は、学生時代からそうだった。
教師から態度を注意されても、よく分からん論理で言い負かしていた。
昔なら生意気な生徒は実力行使でねじ伏せていたのかもしれないが、当時は「モンスター・ペアレント」なる言葉が生まれ、教師たちはこと体罰に関して非常にデリケートな立場にあった。
俺も昔の不良学生のようにボカスカ殴られていたならば、ここまでパーソナリティがひねくれる事もなかったかもしれないが、残念ながら俺は平成初期の生まれ。
ゆとり教育が生み出した歪み、それが俺だった。
社会に対して極めて不適応だった俺だったが、学生の身分も過ぎ去り、とあれ仕事にありつかなければ生活もままならない。
13ものバイト面接を受けたが不採用になり、ようやっと潰れかけのアパレルチェーン店に採用となった。
そこでも上述のような扱いとなり、3ヶ月を経て店舗が潰れる際には、他のバイトたちは他店舗への異動が叶ったが、俺だけが雇い止めの扱いを受け、再び野に放り出されるかたちとなった。
そこから1ヶ月の無職期間を経て、自転車販売のバイトにありついたが、ここでも不適応を起こし、直感でここも長くは持たないだろうと悟った。
同時期に応募していた警備員のバイトの採用が決まり、これにスライドするかたちで、わずか1ヶ月でこの職場は去る事となった。
かくして2018年11月から2年間にわたる警備員バイトを始める。
少しずつ肌寒さを帯び始めた風が、俺の空白の心に入り込むように吹いていた。
(哀しみの警備員編・後編に続く・・・)