小説5『石膏のヴィーナス①』
これから、私が犯した、甘い恍惚の犯罪、その美の記録について記したいと思います。
私の名は、雨宮恵三、今年で45歳になる石膏職人です。
美術大学を出てから、ある石膏製造会社に10余年ほど勤め、現在は独立し、小さな工房をやっております。
私が石膏に目覚めたのは、中学生時分に国語の教科書で見た「ミロのヴィーナス」がきっかけです。
しなやかな柳を思わせるその立ち姿、形の良い乳房、悩まし気なくびれなどは、うら若き少年だった私の心を捉えて離しませんでした。
私にとっての美の理想がそこにありました。分けても私が注目したのは、その腕の欠落です。
五重塔がその屋根の不完全さゆえに人を惹き付けるように、ヴィーナスの腕の欠落は、私に、誰にも到達した事のない楽園の存在、ヴァージン・スノウの情景、不完全である事の完全性を顕現させました。
私にとって不完全、未完成、いびつである事は、白雪で光り輝く荘厳な美のエベレストでした。
ある日、私のもとに一人の来客がありました。