楽しい音楽

俺はヴィジュアル系バンドを好んで聴くキモいオタクである。

いつもは暇を見つけてはバンギャどもに混じりながらCDショップを漁っているのだが・・・。

この度なんと!!!!

 

 

ヴィジュアル系への愛が強すぎて自分で曲を作るに至っちまった!!!

 

 

特に俺が強い影響を受けた、90年代ダークヴィジュアル系バンド(死語)を強く意識した曲になっている・・・!!

そこらへんの音楽に抵抗がない人はもし良かったら聴いてみてほしい。 

 

 

どうだろうか?(笑)

ちなみに作詞・作曲・ヴォーカルは俺がやっている。歌唱力は・・・。

まあ、しょせん素人の歌だと思って見逃してくれい!(笑)

 

歌詞はこんな感じ↓

 

 

さらけ出す 言いつけは 指し示す 自殺未遂を

見つめてた 愛玩は 崩れ行く 自殺未遂を

 

求めてた 結末は 時に消え 自殺未遂を

飾られた 磔に 病的は 自殺未遂を

 

犠牲 犯す 許し合えぬ現実を

心 壊す 馴れ合えぬ日々を

 

愛していた亡骸から 思い出せぬ優しさを

変形した死顔と 永遠に続く闇の中を

 

 

そして、この曲を作るにあたっては、とある作曲家の方に非常に多大な協力をして頂いた・・・。

俺などと違い、しっかりと音楽理論を学ばれた方で、作曲の方法やその他諸々をご指導して頂いた。

アレンジやミックスなどもその方にやって頂いた。

間奏のギターソロとかメッチャカッコよくないですか?俺には絶対思いつかないフレーズだ・・・(笑)。

この方がいなければ、この曲が完成することはなかっただろう・・・。

誠に有難く、感謝感謝で頭が上げられん状態である!

本当にありがとうございました!

 

聴いてくれた人もありがとう!

分かってるとは思うが、自殺はNOだ!命は大切に!!(笑)

アニメ・アニメ・アニメ・アニメ

最近思うのだが、日本国内において、余りにも「オタク文化」が浸透しすぎではないだろうか?

特に若年層の間でのオタク文化の浸透は凄まじい。「若者総オタク化」と言ってもいいくらいだ!

何故このような現象が生じたのか?アニメやゲームなどは細かいクオリティーは上がったのかもしれないが、本質的に劇的な発展を遂げたとは言い難い。やはりニコニコ動画やSNSなどの普及による価値観の共有が進んだことが一つの原因かもしれない。いや、そんな議論はどうでも良い。

俺が最も危惧しているのは、安易で軟弱ないわゆる「萌えアニメ」が増えまくっていることである!ステレオタイプの美少女キャラ達がステレオタイプのアニメ声で際限なくキンキンと騒ぎ、無意味にベタベタとじゃれつき合う。そんなアニメのどこがオモシロイと言うのか!

俺はもっとこう、血湧き肉踊るような物語が見たいのだ!恋愛劇もなく、ましてやメインキャラに男が一人も出ないアニメなど糞の役にも立たんのだ!そんなアニメにオタク達が飛びつき、意味の分からんオタク女がコスプレをしてエロガキどもの慰み物になっている、そんな光景を見る度に俺は悲しくなるのだ!

アニメ会社としては、深夜帯の少ない予算で新人or若手声優のみで回せる萌えアニメが作りやすいというのはあるだろう。(萌えアニメはステレオタイプの演技で事足りるからな!)

だが!やはり一番の問題は、そんなアニメをありがたがって見るオタク達にある!

オタク達よ!そんなつまらん萌えアニメを見る暇があるなら、今すぐ「新世紀エヴァンゲリオン」や「serial experiments lain」を見たまえ!「ホンモノのアニメ」はそこにある!

そして「萌えアニメ討伐隊」として、立ち上がるのだ!萌えアニメ討伐隊はいつでもキミの入隊を待っているぞ!

Bottom

派遣バイトをやっていた頃の話をしようと思う。

僕が行った現場は、洋服などの通信販売をしている企業の倉庫だったのだが、はじめ僕は古着をたたみ、袋詰めにする仕事に割り当てられた。

しかし、僕はこの「たたむ」という行為が生まれつき非常に苦手なのだ。

たたみ方にはマニュアルがあり、初めてやる人でもできるように考えられているのだが、僕がこのマニュアル通りにたたんでも必ずズレてしまう。

その度に責任者にやり直しを命じられるのだが、何度やっても綺麗にたたむことができない。

時間をかけて綺麗にたたもうと心がけると、今度はそのペースではノルマに追いつかないと言われる。

痺れを切らした責任者は、僕を「たたみ」の担当から外し、「三分割」の仕事に移動させた。

「三分割」とは、主に洋服をその種類ごと(コート、ワンピース、ボトムス等)に振り分ける仕事なのだが、要領の悪い人間だと判断された僕は、その振り分けた洋服を入れるためのダンボール作りを任された。

ただひたすらにダンボールを折り曲げ、テープで留め、できたダンボールを積んでいく作業は、体力のない僕にとっては過酷な重労働だった。

真夏だったこともあり、額に、脇に、腹に、背中に、腰に、全身に汗が噴き出した。

だが、洋服を満足にたたむことすらできないグズな僕には、こういった力仕事しか与えられないのも仕方がない。
そう思って黙々とダンボールを作っていった。

やがて、一日中ダンボールを作る日々が一週間を過ぎた頃、僕は別の仕事の担当になった。

移動した担当先は「ピッキング」。
洋服を、あらかじめ渡される紙に書いてある番号の場所に置く作業なのだが、そこでも僕は洋服を置くためのダンボール作りを任された。

今度はダンボールの作り方が変わり、さらに作ったダンボールを半分に切る作業がプラスされた。

自分で作ったダンボールを、自分で切る。
この作業は苦痛だった。
せめて作る人間と切る人間が別であれば。
自分はなぜこんな事をしているのか。
自分で作ったものを自分で壊すという滑稽さ。
僕はやがて考えることをやめ、文字通り機械のように作業に没頭した。
ひたすらダンボールを作る。切る。作る。切る。......

そんな作業を数日間やっていて、僕はふとある事に気づいた。
それは、どうもこの仕事を任されるのは、僕のように他の仕事で「使えない」と判断された人たちであるという事だ。

僕の他にこのダンボール作りを任されていたのは、小太りでメガネをかけた40歳の男と、こちらも同様に太った、恐らく50代の男の二人だった。
50代の男は、ピッキングをやっていたそうなのだが、ここに移動を命じられたらしい。
彼は何日かの仕事の後、やがて仕事を無断欠勤し、辞めていった。
40歳の男は、僕同様「たたみ」の仕事から外されて、ここに来たらしい。
彼は自分の生い立ちについて僕に語ってくれたのだが、それはここでは伏せておく。
その40歳の男なのだが、彼は僕以上に作業が遅かった。
誰が見ても「ドン臭い」と感じるだろう。
話し方などを聞いて思ったのだが、もしかしたら彼は何らかの障害を抱えていたのかもしれない。
ともかく、ノルマを達成するために、僕は彼の仕事の分までやらなければならなかった。

僕は大学の夏休みの間の約2ヶ月間ここでバイトとして働いていたが、それは想像以上に過酷だった。
意識が朦朧として、熱中症寸前に陥ったこともあった。

世の中には、このような仕事を毎日している人間がいる。
そして、それは未来の僕かもしれない。
ある種の絶望とともに、そんな感慨を、僕は持った。


霧の幕

これは確信に近いのだが、僕は大学を卒業しても派遣バイトや、それに準じるような仕事をしていると思う。

僕は、いわゆる「ダブルタスク」ができない。
二つ以上の物事を同時に処理することができないのだ。
同時処理しようとすると、パニックになって思考がショートしてしまう。

これは生まれつきのものだ。これまでもそうだったし、成人した今となっては、これからもそうだろう。

僕には単純作業がお似合いなのだ。
薄暗い倉庫の中で黙々とダンボールを作っては壊し、それがいったい何のためなのかも分からず、ただ黙々と働くしかないのだ。


社会不安p-type No.052

逆回転

いつからだろう。

アニメや漫画を見ているときに、勝利を喜ぶ主人公ではなく、敗北を噛みしめる敵側のキャラクターに強く感情移入するようになった。

僕は今まで生きてきた中で、「勝った」経験よりも「負けた」経験の方が、あまりにも多いのである。

だから、僕は何か勝負事があると、真っ先に負けた場合のことを考えてしまう。
その「負け」は自分にとって許容できる範囲の「負け」なのか。
ひどく痛手を被る「負け」ではないだろうか。

こういう思考になると、もう大きな一歩は踏み出せない。
負の糸に絡め取られてしまう。
がんじからめにされてしまう。

そして、そうやって足踏みをしている間に、逆転できる重要なチャンスさえ逃してしまうのだ。
そのチャンスをどう使っていいのかが分からないのだ。

「負け癖」とはよく言ったものである。
「負け癖」の付いてしまった人生は、ひどく、苦しい。

清流と波紋

人生は、なかなかうまくはいかないものである。
言われるまでもなく、そんな事は皆さんご承知だろう。

僕は弱い人間なので、何故こんな人生になってしまったのか、その原因を外部に求めてしまう。
親のせい、環境のせい、周りの人たちのせいにしてしまう。

本当は分かっている。全ての原因は自分にあると。
怖いのだ。それを認めてしまうことが。

それを認めてしまうと、僕の中で一つ、生きるための支えになっていた綱のようなものが、プツンと切れてしまうような気がするのだ。
突っ張っていた何かがふいに取り去られてしまうような、そんな気がするのだ。

だが、僕はそれでもいいと思っている。
自分が傷つかないための、当然の防衛策だと思っている。

僕は弱い人間だ。
そうしなければ、とても僕は生きてはいけない。

死、後に・・・

もう、生きていることが苦しい。
何か、意味のある文章を書くことさえ煩わしい。
幸せの絶対量は決まっている。
僕が不幸なとき、側では誰かが笑っている。
僕が幸せなとき、側では誰かが嘆いている。