メルヘン音楽を求める旅 分島花音「少女仕掛けのリブレット ~LOLITAWORK LIBRETTO~」

今から遡ること5年前、2010年の冬、俺はひどい絶望の中にいた。

 

高校を中退し、17歳にして無職となっていた俺は、無気力で、何をする気も起こらず、1日中PCをしたり、意味もなくブラブラ外を歩き回ったりして過ごしていた。

なんとかこの生活を変えなければという思いはあったが、具体的に何をすればよいのか分からず、何をするのも面倒くさかった。

この先自分はどうなるんだろうという不安感と焦りに苛まれ、眠れない日々を過ごした。

高校を中退してからも、音楽は聴き続けていた。音楽は俺にとって現実逃避の場所だった。聴く音楽も、非現実的な世界観のものを好んだ。

彼女を見つけたのは偶然だった。俺がいつものようにネットサーフィン(死語)をしていると、とあるネットニュースが目に飛び込んできた。

「チェロボーカリスト・分島花音、Manaプロデュースによりデビュー」。

ぶっちゃけ文面は全く憶えていないので、俺が憶測で書いたのだが、たぶんこんな感じだったと思う。

Manaといえば、俺も大好きで、メチャクチャハマった(俺の中で)伝説のヴィジュアル系バンド、MALICE MIZERのギターであり、リーダーだった人物だ。

そんな彼がミュージシャンをプロデュース、それもヴィジュアル系ではなく女性ヴォーカリストをプロデュースし、作曲も彼の手によるものだという。

俺は興味を覚え、どんなものかと当時横浜駅西口近くのモアーズ7階にあったタワレコに駆け込んだ。(事前にYoutubeとかで聴いたりはしていなかったと思う。)

1stはなく、その年に発売された2ndアルバムだけがあったので、それを買った。

俺が買ったのは通常盤。

 

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早速アルバムを再生、チェロの優美な旋律が流れ出した瞬間、俺は一大スペクタクルメルヘンワールドへと取り込まれた。

魔法の国への扉を開き、メルヘン世界の住人となってしまったのだ!

「メルヘン」、そう、このアルバムを表現するのにこれほど適した言葉はあるまい・・・。

クラシックの要素を取り入れた曲に、おとぎ話チックな歌詞が乗り、ややアニメ声のヴォーカルが歌い上げる。

この手のヴォーカルとしては、歌い方にそんなに嫌味がない方で、割とすんなり聴けると思う。

このアルバムのほぼ全ての曲で聴けるチェロは彼女が弾いているらしいが、ぶっちゃけチェロの上手い下手など、俺には全く分からないので、そこは何とも言いようがない。

俺が特に気に入ったのは、2曲目「果実の警告」と、13曲目「少女仕掛けのリブレット ~Storytelling by solita~」。どちらもManaが作曲している。

 

「果実の警告」は、イントロのバイオリンとチェロの二重奏が、緊張感があってメッチャカッコいい。MALICE MIZERの名曲「Syunikiss ~二度目の哀悼~」を彷彿とした。イントロの緊張感を引きずりながら、しかし耽美的に進行していく歌メロが気持ちいい。

歌詞は旧約聖書の「禁断の果実」をテーマにしたものだろう。クサいけど、俺は好きだよこういうの!(笑)

 

「少女仕掛けのリブレット ~Storytelling by solita~」は、超絶メルヘンな世界観が楽しめるこのアルバムの核となる曲だ!Aメロの歌詞を見てほしい。

 

(1番)

今日は半月の夜 ペパーミントの香り

そっと町の明かりが レースのドレスを着飾る

(2番)

ダイヤ輝く空 バニラクリームのお城

そっと車輪の速度が 秒針のレールを鳴らす

 

・・・おそらく彼女の脳内には自家製サンリオピューロランドがあるのだろう!(笑)そうでなければこんなキマったメルヘンな歌詞は書けまい!Aメロの後には、鐘の音と、時計の針がカチカチいう音が鳴り、セリフが挿入される・・・。

 

「時計はあの子の中に?」

「オルゴールを、よく聴いて。」

 

・・・やりすぎだ!(笑)

だが、こういう世界観が好きな人間にとってはたまらない展開だろう。俺もマジで感動した。サビもやっぱり耽美的。さすがMana!

 

このアルバム、Manaと分島花音の両名がそれぞれ半々くらい曲を作っているのだが、意外にも二人が作る曲の間に大きな音楽的違いはなく、「分島花音」というキャパシティの中に全ての曲が収まっている気がした。セールス的にはてんで売れなかったらしい(最高位83位)が、俺の心にはメチャメチャ響いたアルバムだった。

 

アルバムを聴き終え、現実世界に戻った俺は、少しだけ心が軽くなっているのを感じた。辛い現実を生きるからこそ、美しい世界をより魅力的に感じられるのかもしれない。そんなことを思った。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

元気が出る音楽

今年も残すところあと1ヶ月ほどになっちまったが、皆さんいかがお過ごしだろうか!?

俺はといえば、先の見えぬなんやかんやの不安感や絶望感から逃避するように、曲を作っていた。

そしてできたのがこの曲である。よかったら聴いてほしい。

歌詞

 

心から愛された 人形は見つめてた

操り糸手繰った 道化師との戯れ

 

私の手のひらから 零れ落ちた砂粒

袋小路閉ざされ やつれた貴方を見た

 

眼差しに魅せられて 機械仕掛けのワルツ

 

Die&Die 霧の中 Die&Die 届かず

Die&Die 血塗られた Die&Die 切断喜劇

 

心から愛された 人形は潰された

赤く染まった月を 瞳に映していた

 

遠く霞む記憶は 耳鳴りに苛まれ

蛇の牙が私を その時が来るまでは・・・

 

 

明治時代の小説家、泉鏡花によれば、作者が自作の解説をするのは、女形が楽屋ですね毛を見せるようなものなので、やるべきではないらしい・・・。

筋肉少女隊の大槻ケンヂ「ミュージシャンのインタビューほどつまらないものはない」などと雑誌のインタビューで言っていたな(笑)。

というわけで俺も曲の解説はせずに終わりたいのだが、これだけは伝えたい。

 

シャウトとか結構がんばったので、ぜひ最後まで聴いてくれ!!(笑)

 

 

前作↓

 

take-nari.hatenablog.com

 

言葉を放出する僕

出でよ!ブルーアイズ・陰キャラ・ドラゴン!!

 

ブルーアイズ・陰キャラ・ドラゴン

星8/闇属性/オタク族/攻0/守0

このモンスターはインターネット上に存在する限り、攻撃力が3000ポイントアップする。

 

 

俺は中学生ぐらいの頃から言葉を文章にして残すのが好きだった。

学校の授業時間中など、パッと頭に思いついた言葉(たいてい短い単語の組み合わせ)をノートなどに書き綴り、一人でニヤニヤして楽しんでいた。

 

この楽しさのメカニズムはいまいちよく分からない。

別に、誰かに見せるために書いていたわけではないし、実際そうした事は一度もなく、全て自分の中だけで完結していた。

 

だが、この行為も無限にやっていたわけではない。

こうした行為をずっと続けていると、頭の中がガス欠状態になってしまうのだ・・・!

「無理無理!もう言葉出ないって!」という脳の叫びによって思考がシャットダウンされてしまうのだ!

 

そんなときはインプットの時間である。

俺は創作活動においては、インプットとアウトプットのバランスが大事だと思っている(俺のやっていた事は創作活動とは呼べないかもしれないが・・・)。

 

俺はヴィジュアル系バンドをよく聴くのだが、近年の若手ヴィジュアル系バンドの音源のリリースペースはぶっちゃけ異常である!!

1年で20~30曲などザラで、それ以上の曲数を作るバンドさえいるのだ!ボツになった曲も入れればさらに多くの曲数作っていることだろう・・・。

これじゃあ、どんなに素晴らしい才能だってすぐに枯れちまう!

消費の早い現代社会で活動するバンドの宿命なのだろうか!?

 

とにかく、アウトプットばかりしていては、よくないのである!

 

では、インプットとはどうすれば良いのか?

作曲家なら、音楽を聴くことがインプットになるのだろうか?それも勿論大きな刺激になるだろう。

だが、俺は、自分の専門外の分野に触れることもまた、創作の大きなアイデアに繋がるのではないかと思っている!

俺の場合は、絵を見たり音楽を聴いたりして感じた事を、モチーフとして単語に当てはめ、言葉を作っていた。本とかを読むよりよっぽどアイデアが湧いたと思う。

インプットばかりしていても、今度は脳が「おいコラ!早く言葉吐き出させろ!」とどやしつけてくるので、やはりバランスが大事なのだろうな!

 

ところで、俺は最近曲を作り始めたのだが、ハチャメチャなスローペースで製作している。

11月下旬ぐらいに完成すればいいなぁ、と思っているので、出来たら聴いてほしい!

 

・・・記述ノ終幕・・・

楽しい音楽

俺はヴィジュアル系バンドを好んで聴くキモいオタクである。

いつもは暇を見つけてはバンギャどもに混じりながらCDショップを漁っているのだが・・・。

この度なんと!!!!

 

 

ヴィジュアル系への愛が強すぎて自分で曲を作るに至っちまった!!!

 

 

特に俺が強い影響を受けた、90年代ダークヴィジュアル系バンド(死語)を強く意識した曲になっている・・・!!

そこらへんの音楽に抵抗がない人はもし良かったら聴いてみてほしい。 

 

 

どうだろうか?(笑)

ちなみに作詞・作曲・ヴォーカルは俺がやっている。歌唱力は・・・。

まあ、しょせん素人の歌だと思って見逃してくれい!(笑)

 

歌詞はこんな感じ↓

 

 

さらけ出す 言いつけは 指し示す 自殺未遂を

見つめてた 愛玩は 崩れ行く 自殺未遂を

 

求めてた 結末は 時に消え 自殺未遂を

飾られた 磔に 病的は 自殺未遂を

 

犠牲 犯す 許し合えぬ現実を

心 壊す 馴れ合えぬ日々を

 

愛していた亡骸から 思い出せぬ優しさを

変形した死顔と 永遠に続く闇の中を

 

 

そして、この曲を作るにあたっては、とある作曲家の方に非常に多大な協力をして頂いた・・・。

俺などと違い、しっかりと音楽理論を学ばれた方で、作曲の方法やその他諸々をご指導して頂いた。

アレンジやミックスなどもその方にやって頂いた。

間奏のギターソロとかメッチャカッコよくないですか?俺には絶対思いつかないフレーズだ・・・(笑)。

この方がいなければ、この曲が完成することはなかっただろう・・・。

誠に有難く、感謝感謝で頭が上げられん状態である!

本当にありがとうございました!

 

聴いてくれた人もありがとう!

分かってるとは思うが、自殺はNOだ!命は大切に!!(笑)

アニメ・アニメ・アニメ・アニメ

最近思うのだが、日本国内において、余りにも「オタク文化」が浸透しすぎではないだろうか?

特に若年層の間でのオタク文化の浸透は凄まじい。「若者総オタク化」と言ってもいいくらいだ!

何故このような現象が生じたのか?アニメやゲームなどは細かいクオリティーは上がったのかもしれないが、本質的に劇的な発展を遂げたとは言い難い。やはりニコニコ動画やSNSなどの普及による価値観の共有が進んだことが一つの原因かもしれない。いや、そんな議論はどうでも良い。

俺が最も危惧しているのは、安易で軟弱ないわゆる「萌えアニメ」が増えまくっていることである!ステレオタイプの美少女キャラ達がステレオタイプのアニメ声で際限なくキンキンと騒ぎ、無意味にベタベタとじゃれつき合う。そんなアニメのどこがオモシロイと言うのか!

俺はもっとこう、血湧き肉踊るような物語が見たいのだ!恋愛劇もなく、ましてやメインキャラに男が一人も出ないアニメなど糞の役にも立たんのだ!そんなアニメにオタク達が飛びつき、意味の分からんオタク女がコスプレをしてエロガキどもの慰み物になっている、そんな光景を見る度に俺は悲しくなるのだ!

アニメ会社としては、深夜帯の少ない予算で新人or若手声優のみで回せる萌えアニメが作りやすいというのはあるだろう。(萌えアニメはステレオタイプの演技で事足りるからな!)

だが!やはり一番の問題は、そんなアニメをありがたがって見るオタク達にある!

オタク達よ!そんなつまらん萌えアニメを見る暇があるなら、今すぐ「新世紀エヴァンゲリオン」や「serial experiments lain」を見たまえ!「ホンモノのアニメ」はそこにある!

そして「萌えアニメ討伐隊」として、立ち上がるのだ!萌えアニメ討伐隊はいつでもキミの入隊を待っているぞ!

Bottom

派遣バイトをやっていた頃の話をしようと思う。

僕が行った現場は、洋服などの通信販売をしている企業の倉庫だったのだが、はじめ僕は古着をたたみ、袋詰めにする仕事に割り当てられた。

しかし、僕はこの「たたむ」という行為が生まれつき非常に苦手なのだ。

たたみ方にはマニュアルがあり、初めてやる人でもできるように考えられているのだが、僕がこのマニュアル通りにたたんでも必ずズレてしまう。

その度に責任者にやり直しを命じられるのだが、何度やっても綺麗にたたむことができない。

時間をかけて綺麗にたたもうと心がけると、今度はそのペースではノルマに追いつかないと言われる。

痺れを切らした責任者は、僕を「たたみ」の担当から外し、「三分割」の仕事に移動させた。

「三分割」とは、主に洋服をその種類ごと(コート、ワンピース、ボトムス等)に振り分ける仕事なのだが、要領の悪い人間だと判断された僕は、その振り分けた洋服を入れるためのダンボール作りを任された。

ただひたすらにダンボールを折り曲げ、テープで留め、できたダンボールを積んでいく作業は、体力のない僕にとっては過酷な重労働だった。

真夏だったこともあり、額に、脇に、腹に、背中に、腰に、全身に汗が噴き出した。

だが、洋服を満足にたたむことすらできないグズな僕には、こういった力仕事しか与えられないのも仕方がない。
そう思って黙々とダンボールを作っていった。

やがて、一日中ダンボールを作る日々が一週間を過ぎた頃、僕は別の仕事の担当になった。

移動した担当先は「ピッキング」。
洋服を、あらかじめ渡される紙に書いてある番号の場所に置く作業なのだが、そこでも僕は洋服を置くためのダンボール作りを任された。

今度はダンボールの作り方が変わり、さらに作ったダンボールを半分に切る作業がプラスされた。

自分で作ったダンボールを、自分で切る。
この作業は苦痛だった。
せめて作る人間と切る人間が別であれば。
自分はなぜこんな事をしているのか。
自分で作ったものを自分で壊すという滑稽さ。
僕はやがて考えることをやめ、文字通り機械のように作業に没頭した。
ひたすらダンボールを作る。切る。作る。切る。......

そんな作業を数日間やっていて、僕はふとある事に気づいた。
それは、どうもこの仕事を任されるのは、僕のように他の仕事で「使えない」と判断された人たちであるという事だ。

僕の他にこのダンボール作りを任されていたのは、小太りでメガネをかけた40歳の男と、こちらも同様に太った、恐らく50代の男の二人だった。
50代の男は、ピッキングをやっていたそうなのだが、ここに移動を命じられたらしい。
彼は何日かの仕事の後、やがて仕事を無断欠勤し、辞めていった。
40歳の男は、僕同様「たたみ」の仕事から外されて、ここに来たらしい。
彼は自分の生い立ちについて僕に語ってくれたのだが、それはここでは伏せておく。
その40歳の男なのだが、彼は僕以上に作業が遅かった。
誰が見ても「ドン臭い」と感じるだろう。
話し方などを聞いて思ったのだが、もしかしたら彼は何らかの障害を抱えていたのかもしれない。
ともかく、ノルマを達成するために、僕は彼の仕事の分までやらなければならなかった。

僕は大学の夏休みの間の約2ヶ月間ここでバイトとして働いていたが、それは想像以上に過酷だった。
意識が朦朧として、熱中症寸前に陥ったこともあった。

世の中には、このような仕事を毎日している人間がいる。
そして、それは未来の僕かもしれない。
ある種の絶望とともに、そんな感慨を、僕は持った。


霧の幕

これは確信に近いのだが、僕は大学を卒業しても派遣バイトや、それに準じるような仕事をしていると思う。

僕は、いわゆる「ダブルタスク」ができない。
二つ以上の物事を同時に処理することができないのだ。
同時処理しようとすると、パニックになって思考がショートしてしまう。

これは生まれつきのものだ。これまでもそうだったし、成人した今となっては、これからもそうだろう。

僕には単純作業がお似合いなのだ。
薄暗い倉庫の中で黙々とダンボールを作っては壊し、それがいったい何のためなのかも分からず、ただ黙々と働くしかないのだ。


社会不安p-type No.052