世界一DIRTYなオタクっ子

ご多分にもれず、音楽を聴くのは好きなほうである。

元来根がきわめて自閉的にできている俺は、中学生時分にとあるバンドを知り、そのどこまでも後ろ向きで陰気臭い曲調や破滅的な世界観に強い感銘と共感を覚え、爾来今日に至るまで10年以上にわたって音楽を我が身に摂取し続ける日々を経ててきたわけだが、いつからか、いや、そうした生活に己を向かわせるのを決定付けた初手のバンドの時点からそうであったのかも知れぬが、どうにも音楽を聞く際の姿勢というものが、何か救いを求めるかのような、必死の形相を帯びてきたという感覚があり、音楽に対して単純に好きというだけではない、どうでも逃れられぬ呪縛の中でもってこれに縋り付くというような、一種の依存症じみた塩梅になってしまっている。

 

その間に、そうした音楽ジャンキーぶりが転じて、俺自身、自分が好む音楽の影響がモロに出た、どうにも古臭さばかりが目立つ曲を人の力を大いに借りながら作ってきたわけであるが、最近ではそうした現状にさえ限界を感じ始めている。

はな俺は音楽を聴くことに対しては安らぎを感じるタイプだが、作るほうに関しては対照的で、今まで曲を作る過程でそれを楽しいと思ったことは一度としてなく、才能や実力以前に本質的に音楽家といったものへの適正が皆無であるという自覚がある。いっそ音楽以外に救いとなるものを見つけられれば、と思うものの、どこまでも音楽に憑り付かれた身であるが故、結句これに立ち戻るかたちとなってしまう。

 

音の洪水の中に身を浸し続けていれば、いずれそれに飲み込まれる仕儀となるのは火を見るよりも明らかだが、その激流に飛び込むほか生き抜くすべがないというのが、どうにも慊(あきたりな)い。