中1のとき、小学生の遊戯王大会で優勝した話

今から遡ること10年前、中学1年生だった俺は遊戯王にハマっていた。

90年代生まれのオタク・キッズなら、やったことがある人は多いのではないだろうか。(というか、今でも普通に小学生がやっているらしい。ビビった。)当時ゴールデン・タイムで遊戯王のアニメが放送されており、俺もそれを見て始めた。小学1年生のときだったと思う。

小学生の俺は友達などいなかったので、もっぱら一人デュエル(2つのデッキを一人で使って対戦すること。超ムナシイ。)をやっていた。

小4ぐらいからインターネットに触れ始め、ネットに載ってるデッキレシピなども見始めたのだが、当時小学生で小遣いもたかが知れている俺に、大会で優勝するようなデッキなど組めるはずもない。

そんな中で、俺は無料で遊戯王のネット対戦ができるサイト(今は閉鎖されてしまったが、別のそういうサイトがあるらしい)を見つけた。そこなら、実際にカードを持っていなくても自分の思い通りのデッキが組めた。そこで俺は当時の公式大会優勝者のデッキなどを丸パクリして挑み、順調にレートを上げていった。(レート1600から始まり、最高で1800近くまで上げていたと思う。)

ネットで顔も知らない相手に勝ち続ける中で、俺の中にある欲求が芽生え始めた。

 

””生身の相手と戦って、勝ちたい””。

 

しかし、俺には友達がいない(大泣)ので、対戦相手を探そうと思ったら、大会に出る以外に考えられなかった。

そのとき中学生になりたてだった俺は、しかし、一般大会に出て大人を相手にするのも怖かったので、年齢をごまかして小学生大会に出ることにした。

当時渋谷にあった「コナミカードゲームセンター」(今は「コナミカードゲームステーション」という名前になって東京ミッドタウンに移ったらしい)で、遊戯王の小学生大会が開催されていたので、それに向けて、小遣いやお年玉などをカードを買うことにフル使用し、自分なりに最大限の準備をして臨んだ。(どんなデッキを組んだかは忘れた)

 

結果は1回戦負けだった。

考えてみれば、ガチで生身の人間と対戦したのはその時が初めてである。リアルデュエル経験が年齢に伴っていなかった俺は、本番でド緊張し、状況も読み込めぬままに負けた。(アニメみたいに「俺のターン、ドロー!!」とか叫んだほうがいいのか?とか割とマジで考えてた)

そのショックで次の大会は出なかったのだが、さらにその次の大会には出ることにした。

その時に組んだデッキが【サイカリミーネ】(サイバー・ドラゴン、デスカリバー・ナイト、黒蠍棘のミーネを軸にしたスタンダード系のデッキ)である。当時は【除去ガジェ】が全盛期だったので、そのメタの意味も含めてミーネを採用した。(ミーネの守備力ならガジェの打点を止められる)

 

そして臨んだ大会では、これがムチャクチャよく刺さり、優勝することができた。

決勝で戦った相手は【除去ガジェ】だったのだが、想定していただけあって、割と普通に勝てた。(当時、ガジェはVジャンの付録で付いてきたウルトラレアのやつしかなく、値が張っていたので、こいつ小学生でガジェ3種類3枚持ってんのか...、と俺はちょっと引いていた)

優勝景品はなんかのカードのパラレルレアだった。(覚えてない)その後も何回か優勝して「強制脱出装置」とか、「異次元の偵察機」とかのパラレルレアをもらったのは覚えている。(強脱って昔はクソだったけど、今メッチャ強いらしいね)その後【サイカリミーネ】に飽きて【お触れホルス】とか【暗黒界】とかも使ってみたんだけど、これはクソ弱くて全然勝てなかった。

 

その後は、特にこれといったきっかけもなかったと思うが、まあ段々ダレてきて、遊戯王へのミチベーションが失われていき、中2のときには完全に引退して、持っていたレアカードをほとんど売ってしまった。俺の遊戯王への情熱は1万円ちょっとの現金へと形を変えた。

コナミカードゲームセンター」で、2006年当時に売れてた曲(KAT‐TUNの『Real Face』とかダニエル・パウターの『bad day』とかmihimaru GTの『気分上々↑↑』とか)がよく流れていたので、今その曲を聴くとその頃のことが色々と思い出される。

 

遊戯王を辞めてからは音楽にハマっていき、以前書いた「青春は黒い夢と共に・・・」あたりの話に繋がっていく。

10年前という区切りのいい年だったのと、今年遊戯王の新作映画がやっていたので(俺は見ていないが)、そういえば昔こんなことあったなぁと唐突に思い出して書いてみることにしたのであった。(完)

 

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